みなさんこんばんは^^
今日の山口市は雨のち雪とても寒い1日になりました。夕方から雨から雪に変わったので明日の朝が雪が積もっていないか心配です。
今日は小説のお話
タイトルにもありますように今日の本は「誰か」宮部みゆき です。
家族とはなんなのか兄弟姉妹とはなんなのか、あまりにも私の環境は恵まれてぬるい環境の中をいきている。そんなことをこの本から感じる事ができました。
また、私には足りないものがこの本の中で気づくことが出来ました。やはり本は好き嫌いせずに読んでみないと分からないものですね。
人はそれぞれの環境の中何かを抱えて生きているそれが、大きいものであれ小さいものであれしょって生きていかなければならない。問題はそれに耐えれるかどうかなんだろうなと思いました。
私はこの本の著者のイメージはSMAPの中居さんが登場する映画、模倣犯で最後に中居さんの首がとんでいくシーン(だったと思います)が印象的で「なんだこれは強引な終わり方だな~」とちょっと評価が私の中では良くはなかったです。
そういうものもあってなかなか宮部さん本を手に取ることはありませんでしたが、この度、ペテロの葬列という本の出版されて新聞の広告でよく目にすることがあり、なおかつ杉村シリーズ第3弾とあるのでどんなものかと興味をいだき、第1弾から読んでみようかと思いました。
この本は最初は単純な推理小説なのだろうと思っていました。とある会社の会長の運転手が、自転車に撥ねられて死亡した。その犯人を見つける。そう単純なお話だと思っていろいろと自分なりにいろんな展開を予想しながら読んでいましたが、最後まで読み終わったときには見事に予想を裏切られましたね。
この本、最初はちょっとだらっと物語が進んでいくので若干退屈感をいだいていました。また、なにかちょっと感情移入ができない自分がいました。そうこうしているうちに後半に入り始めた当たりからだんだんおもしろくなってきて最後まで一気に読み終わっりました。
その本をよむ途中でなぜ感情移入が出来ないのかが分かりました。主人公の杉村氏は逆たま(男性がお金持ちの女性の玉の輿に乗る)だったのです。それに気がついたときは、私はまだまだ懐が狭い人間だなと反省しました。この杉村氏、別段お金持ちを気取っているわけでもなくごくごく平凡なサラリーマンです。それなのに違和感を感じていた私、反省です。
本書の最後のあたりはとにかくガンと胸にきます。内容を書きたいけどネタバレになってしますのでかけません。育つ環境が違えば人も違うし変わる、考え方も人それぞれ。私が抱えるものはまだまだ薄っぺらいものです(家族は別で考えて)。まだまだ残りの人生いろんな修羅場を渡らないといけないですね。
毎日が修行です^^ この本に出会えたことに感謝!!
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